コロナになった。

題名の通り、コロナウイルスになった。こんなに世の中が終わりかけだというのに、このままかからずに終わるのかなと思っていたら見事にかかった。本当に辛かった。初めは朝起きて喉が痛くて、熱があるような具合の悪さから始まった。これは・・熱があるのではという気持ちから体温計で測ったところ38℃くらいだった。最初の気持ちが、ああ、会社休むっていうの気まずすぎる・・・。だったのが悲しい。

1日目まだ少し元気で熱が38℃くらい。午前中に病院へ行った。近所には大きな病院があるので発熱外来はもうベルトコンベアの如く受付→診察→検査→結果(受付にて言われる)とい綺麗な流れができている。私は鼻の中に綿棒にようなものを突っ込む検査キットが本当に嫌いで申し訳ないほど担当の看護師さんに「まだ奥に入れるんですか?!」とか言って迷惑この上ない患者となってしまった。本当にお忙しいのに申し訳ありませんでした。

病院の待合室にいる(と言っても特設のプレハブなのだが)ここにいる人みんな具合悪いんだなと思うと不思議な気持ちになった。通勤の時に前を通る病院なので、流行りがすごかった時は人が溢れていた。今はまだ空いていて良かったと心底思った。具合が悪いのにあんなに並んで待っていたら死んでいたと思う。薬は普通にロキソニンと喉の薬だけだった。本当に炎症を抑えるだけの薬だ。

3日目までは熱が39℃くらいでて辛かったけど、まだ体力もあるし意外と元気だったと思う。4日目から地獄が始まった。喉の痛みだ。なんだこの突き刺さるような唾も飲み込めない。火傷をしたような刃物が突き刺さっているような激痛。喉ってこんなに痛くなるんだと思った。夜寝られないし、横になっても苦しい、自分の呻き声で起きるなんて感じだった。唾が飲み込めないなんて・・・辛い。

4日目から6日目まで熱と喉の痛みに耐えた。この辛さはなった人にしかわからないから一度コロナウイルスに罹って人の心がわかるようになって良かったと思うことにする。

食事の約束をしていた人にキャンセルの連絡をしたところ、ポカリは100%の濃さで飲んではいけないと教えていただいたので、水で薄めて飲んでいた。とにかく水分が大切と言われたのだが喉が痛くて飲めない。なぜか朝起きた時、というか寝て起きた時がマックスに喉が痛い。刺さるような痛さはもう絶対経験したくない。眠れないとか話せないとか本当に辛い。

コロナウイルスが5類に落ちたおかげで会社の休み基準がなくなり、1日ごとに出社できるか確認メールが来てそれが精神的に辛かった。どう考えても無理だろう、察しておくれという感じです。こちらは休んでいる側なので「申し訳ございません」というスタンスなのだが、、なんなんだよ、言わなくともわかりますでしょうという気持ちだった。いや本当に迷惑をかけたのですが・・。

やっと熱が下がり始めて健康って大切だなと改めて思うところである。ちなみにワクチンは2回しか打たなかった。しかし、これで免疫がついただろうと思っている。

周りの席の人みんなかかっても自分一人かからなかったので、このまま終わるかと思いきやここでかかるとは何となく私らしいなと思いながらコロナ生活は終わりを迎えようとしてる。

人生は健康第一である。

「汝、星の如く」凪良ゆう著を読んだ。

少し前に上司との飲みの席で最近心が凪だという話をした。良い意味で心がざわめく事がなくこんな平和な精神状態の時もあるのだと不思議に思っていた。忙しくも淡々と自分のやることがあるということは大切なことなんだと実感した。暇はよくない。世の中の事件を起こすのは暇があって色々と余計なことを考えてしまうからだと職場の先輩が言っていたけれど、その通りだと思う。何かに追われすぎてもいけないけれど暇は人を変な思考へ誘う事が多々ある。

人生は選択の連続である。日々小さな選択や大きな選択を重ねて人は生きている。昔NHKの番組でもやっていたが、この本を読んで改めてそう思った。自分が納得して人生を生きること。その全てが自分で選択し道を進んでいるという事実である。

家庭環境によって制約が出てくる子どもの人生もある。今でいう親がちゃというのだろうか。親によって子どもの育ちは変わるのか。専門家ではないので詳細は分かりかねるが、多少なりとも関係はあるように思う。私の家庭はおそらく他から見ると少し厳しくてそういう家庭環境の人と接するとなんとなく同じ匂いを感じたりすることがある。もっと過酷な状況の場合、子どもが成長する過程で、そこに留まることも進むことも選択できる環境は大切であると感じた。どんな人生であっても自分の選択した人生であるということは生きていく上で忘れないようにしなければいけないと思う。

ここ数年誰かと一緒に花火を見ていないことに気がついた。好きな人と花火を見るというのは人生において最も大切なことのひとつだと思うので、今年は絶対に好きな人と夏の花火を見に行こう。という意気込みだけは書いておく。

とりとめなく本の感想ではないような散文になってしまったが、人生を主体的に生きることの大切さ。どこへいくにしても何をするにしても自分で納得して選択して進んでいくことの大切さを改めて感じた本だった。

「52ヘルツのクジラたち」町田その子著を読んだ。

もう何ヶ月も前に地元の図書館で予約をしていた。私の前に何十人も予約している人がいて少し忘れていたほどの時に図書館から「ご用意ができました」とメールが届いた。

本屋大賞をとった。話題の作品というイメージであったが、読み進めていく中で何度も泣いてしまった。久しぶりに小説を一気に読んだ気もする。

孤独を抱えて生きていく人々の人生の寂しさが美しい言葉で表現されており、読み進めていく中でここは泣きポイントなのかという場所で自然に涙が出てくる不思議な体験をした。久しぶりに小説を読んだし、感動ではなく言葉の美しさ共感といったところで出てくる涙が個人的には本当に不思議な体験であった。

これは自分の部屋に置いておきたい本かもしれないと思う。2回目に読んだ時に同じように涙が出るものなのだろうか。本の内容に触れるつもりはあまりなくて、とにかく本屋大賞恐るべし。もう一度じっくり読みたい。

本の中の彼女、彼らがどうか幸せに生きていってほしいと願う。と共にきっと現実世界にもこのような現状はたくさんあるのだろうと思うとやるせなくなる。

そういえば、読んでいる最中に徳之島へ行った際に見た子どものくじらの潮吹を思い出した。宿から海を眺めてご主人にくじらの潮の吹き方を教えてもらった。垂直にシュッと飛沫が上がる。

何人かで朝の海を眺めていたら、小さな飛沫が遠くで上がった。姿は見えねどあそこに鯨がいる。見ていたメンバーから歓声が上がったのを覚えている。聞こえない声に耳を傾けることの大切さと、もしかしたら自分の声も聞こえない周波数なのかもしれないと思った。

町田その子さんの他の本も読んでみようと思う。